灰色の空

あした晴天なら

ペンギン

どうせ人間や人生なんか面倒くさいものであるのだから、どうせやるならとことん面倒くさいことをしよう

たくさん経験をするべきです。そしてたくさん知識をつけるべきです。経験と知識がなければ想像ができないでしょう、想像が出来ないということは人の気持ちもわかりやしないのです。だからたくさん努力をするべきです。その方がよっぽど社会で必要とされますよ。

面倒くさいなあと、そういう顔をする人より。

 

ゆっくりと、重く、積まれていく言葉

沈黙だけが耳に残る広い部屋で、100人近くが、そう言い放った指導者を見つめていた

 

たった一度の人生です

ゲームで、生真面目に攻略だけする人もいれば、時に好きなことをしてゲームオーバーを望む人もいるでしょう

好きなことだけをして、生きてみる経験もまたその人の人生です

一回しかチャンスがないのなら、その一回を真面目に成し得ることが幸せだという人と、不真面目でも楽しく成し得ることが幸せだという人、どちらも大きく見れば何も間違ってはいないのでしょう

 

きっと指導者は、私たちをより"善い"方へ連れて行きたいのです

年季が違う分、それをよく知っているから。

私たちが手を引いても、ちっとも動かないものですから、納得させようと必死に話をしてくれているのです

 

私は複雑です

先の見えない暗闇に手を引かれて「こっちが良いよ」なんて根拠があってもなくても立ち止まってしまうものです。

ペンギンのように、誰かが先に行ってくれるまで動かない私は誰か先に行ってどうにか照らしてきてくれよと思ってしまうのです。

卑怯でしょうか。

いいえ、誰でもそんなものなのでしょう。

絆創膏

大きな駅の階段で、何事もない日々の中で、

私は大きく転倒しました。

 

とても、恥ずかしかったです。

後ろに知人がいたかもしれないと咄嗟に頭に過ぎり、さあっと血が降りていくのを感じました。

それを振り返る勇気もなく、電車に逃げるように乗るのですが心臓のばくばくは止まりません。

世界では、大衆の中で私が転ぼうが、それは変わりなく日常の一部なのでしょう。

だから私は大衆の中で1人、

顔を真っ赤にして、平常を装うのです。

umbrella

雨の音がぱたぱたと窓を叩く音だけが、静かなリビングルームで鳴っています。

日付を跨いでも尚、目を覚ましたままなのを昔のわたしこそ、何とも思っていなかったのでしょう。今は"明日起きられるかな"、なんて自立した証拠でしょうか。

ああ、いけません。また大人になったような勘違いをしてしまいます。

こんな真夜中にひとりなら、少しくらいは呻きをあげて泣くこともできたかもしれません。慣れてしまったように感情がないような涙を流すばかりです。本当は胸がこんなに苦しいのに、私から発せられるものは他人に伝わりにくいのですからめんどうくさい。

こんな文を連ねる今も胸がぎゅう、と痛むのです。その痛みが苦しいように感じるのです。

どうして私の胸は痛むのでしょうか。

私はどうして泣くのでしょうか。

一体何を得ればこんな思いから抜け出せるのでしょうか。

それまで私は誰にも伝えることが出来ずにいるのでしょうか。

 

ぱたぱた

消極的な考えを巡らすのはこんな夜のせいと、何度誤魔化して来たんでしょう。

自分が落とした涙の跡に気づかないふりをして来たんでしょう。

鼻水をすする音さえも聞かせてはいけないのだと、何を怖がっているのでしょう。

「明日起きられないよ」

掠れた声がようやく聞こえて、

私は仕方なくといったように布団へ入るのです。

「おやすみなさい」

このままずっと起きなければ、幸せなんでしょうか。

好きなこと

2年前から、暇を持て余すばかりだった私の生活が常人よりも遥かに忙しいものになってしまいました。充実感や絶望、嘆いたり病んだり、ほんとうに忙しいのです。

そんな日々の中に、私の好きなものは置いてけぼりにされてしまったようでした。

久々にしっかりとペンを握っても、前は勝手に動いた手が何の反応も示さないのです。どうしたものかと無理やりガリガリと描いてみても、私の絵はこんなものだったかと、違和感に思わずノートを閉じてしまいます。

好きなことに不快感を覚えたのは初めてでした。

私は何が好きだったんだろうと思い返しても中々浮かんではきませんし、嫌いなことを辿る方がよっぽど簡単です。当然のことなのかもしれませんが、私には異質な感覚に違いはありません。

私の好きな何かはどこかへ忘れてきてしまったようです。

ノートに描いた私の絵を、勢いに任せ、怒りをのせた黒塗りにすれば

嫌いな何かを、不快感を、拭えないでしょうか。

ユリの花

死にたいと思ったことはありますか。

 
飛び降りたり、切ったり、溺れたり
そんなことを想像したことは?
 
私はあります。
ええ、何度も、何度も
身内の棺を見る度にそう思っていました
黒いハンカチを握り締め、骨になった姿に泣き崩れる親戚を、私の時もこんな風に泣いてくれるのかと眺めるのです。
 
何故死にたいのかと聞かれれば、答えようにも言葉が見つからないのです
"死にたいと思ったから"
そんな言い訳のような文しか出ません
 
それでも私は思うだけ、想像するだけ。
実行に移す勇気なんてものは持ち合わせていませんし、心配してくれる友人もいない
所詮私はそんなものなのだと、言い聞かせては毎日のうのうと生きるのです。
 
いつか棺桶に勝手に入るその日まで。

ともだち

「大丈夫だよ〜」

へら、と間抜けな顔を見せる友人が私には耐えられないほど悲しく見えた
何で大丈夫なの、と口を開きかけて、彼女がにこりと笑うから何も出なかった
奥歯がギシ、と音を立てた私の酷い顔を見て「優しいねえ」なんて。
 
「ばか」
 
そう言ってやることしかできなくて。
 
己の無力さに一生の絶望を知って、君が流した涙の1%分くらい泣いた
そんな醜態を晒す私に何を感じたのだろう
 
「そうやって泣いてくれるから、私充分だよ」
 
ぽた、と一粒だけ頰を伝った君の初めての涙に、
私はもう喚くしか術がなかったのだ。

通勤ラッシュ

毎朝、7:30ごろの電車に乗って通学するのですが、平日はなかなかに混み合っている時間帯でして学生の私は今日も汗をかいて眉間にシワを寄せたサラリーマンにぎゅうぎゅうと潰されています。

別にそれに文句を言おうとは思わないのですが、あまりいい気分ではありません

ただこちらに見向きもしないところを見ると、それほど切羽詰まった生活なのだろうと黙って下を向いてしまうのです

何も流れてこないイヤホンは、飄々としているように見せるため…

いえ、冗談です。