灰色の空

あした晴天なら

焼却日記

私が書き記した幾多の日々を、いつか燃やせる日が来ないかとおもうのです。

削除するにはあまりに思入れが強く、いっそのこと火にかけて炭になれば私も未練が残らないのではないだろうかと、我ながら馬鹿げたようですが、残念なことに大真面目です。

手で掴めもしないこの文章を燃やす方法なんて、私の足りない頭では説明もできませんし説明出来てしまったのならそれはそれで私はまた困った顔をするでしょう。

ぽつぽつと空いた時間に本音を綴っていく間に、いつのまにかこんな量になっていて、

いつのまにか、ここにしか本当の自分を隠しておけなくなっていて。

私に表情が薄いのは、たくさんここに置いてきているからなんだろうとずっと考えています。他の人と少しだけ価値観も違う方向にあって、感じてしまうことも違うのは当たり前ではあるけれど、私を取り巻く環境は、それを"浮いている"と囁きます。私もそういう環境で育ったのですからそういう思考が無いとは言い切れません。なので今更それをどうとも思わないのですが、ただ、肩身が狭いだけです。

ただ、自分でいられない。

そういう場所から逃げてきた私のこの日々を、いつか燃やせる日がこないかと、

灰にして塵にして、私からも隠してしまえないかと

そう、思うのです。

勉強ランナー

どちらかというと勉強が嫌いです。

昔は勉強なんてしても出来ないからやらないんだと鼻の穴を広げて、しかし教科書はランドセルや通学カバンに閉じたままのよくいる困った子どもでした。

それでもそれなりの点数で器用にやり過ごしてきたのは何となく培われてきたもので、自分に生まれ持った特別な何かがあるわけではないのをよくわかっていました。そして、優れた者は頭が良いから勉強が出来るのではなく、勉強しているから頭が良いのだということも本当はちゃんと理解していたのです。

高校に上がってからは何となく勉強しないと取り返しがつかなくなるんだろうと感じる内容なのを悟り、音楽を聴いたり動画を見ながらぼんやりと勉強しました。思い返すに、嫌なことと面と向かって努力してみたことは、これまでで一度も無かったりします。ゆとりだなんだと指を指され、見下ろされても、結局それは努力しても拭えぬ大人から焼印されるレッテルみたいなもので、私の生い立ちに何の影響も無かったことでしょう。ただそういう時代をそういうレッテルを貼られた世代が面倒くさいなと呟きながらも背負っていかなければならないので、それに手を貸す権利すらもないような将来にはしないようにしようと何とかやっと教科書を開きました。こんな感じで私が嫌なことに少しでも寄り添うにはそれらしい理由が必要なようで、それは多分、私が踏ん反り返ってた時代に文句も言わずに努力出来た人たちがいたことを認めていて、それが私に出来なかったのを未だに私は許すことができないままなのでしょう。要するにプライドが高すぎるのも考えものだということです。

すべき事を投げ出して、あの毎日のようにつまらないことに文句を零し連ねていたいのを社会は認めようとはしません。弱い人間だ、惰性だ、言い訳だと牙を向いて私のようにいつまでも後ろを振り返り立ち止まる者を何とか走らせようとします。私がその牙を恐れて走った先には走った私をいいことに、もっと速く走らせようとする母がいる事を予測出来ませんでした。逃げて走れば走るほど、息が上がって苦しいのを、振り返ればまた苦しくなるのを、そしてまた前を向くことがどれだけ苦しいことなのかを私たちはずっと昔からわかったつもりでいるだけで本質は何かと向き合い学ばなければ気づくことが出来ないのです。

私が勉強して知ったのは、このくらいです。

君、

私が見てきたのは、いつも寂しい背中。

私が気にかけてきたのは、いつも悲しい表情。

私が救いたかったのは、いつもの笑顔。

 

私が誰かの為に泣いてしまったのは、君が初めて。

 

私が何度目かの涙を流した後に君が、

「私、辞めないことにしたの。だから、一緒に頑張ろうよ」

そう言って、手を握ってくれた

その時、君の顔が一瞬いつもの笑顔になった。

それが嬉しくて嬉しくて、また泣いてしまった。

「ありがとうね」

私の顔を覗き込む君は楽しそうだった。

 

 

君はもう随分と以前の明るい表情を取り戻したようだった。

君が笑わなくなったあの日から、どんどん痩せていく君と、昨日の夕飯は何を食べて、つい食べ過ぎてしまったんだとか、ダイエットは2日も経たずに諦めたのだとか、話をしては2人で笑い転げることも出来なかったが、

「聞いて、昨日ね。うな重食べたの」

なんて私の方に振り返った君がそうやって笑うから思わず驚いた顔を見せてしまって、「元気ない?」なんて困らせてしまった。

「ううん、またリバウンドだな〜??」

いつも通り笑ってあげられただろうか

良かった。本当に、本当に良かった。

 

「もういいよ〜」

 

ケラケラと楽しそうな君

それだけで、良い

 

「うん、もういいよ」

 

口に出てしまう。抑えられない涙が落ちてくる。

君は驚いて、それから、ちょっぴり眉を下げて私の手を握る。

 

「ありがとう、」

 

私は、救ってあげられたんだろうか。

 

いや、君が自分の力で這い上がってきたんだろう

君はいつだって本当は強い人なんだ

 

救われたのは、私の方だった。

 

「ううん、ありがとう。」

救えない

あなたはもし、大切な友人が、私や皆と同じ道を行くことが苦しくなって「もう一緒に行けない」と言ったら、

どうしますか。

 

毎日、目の周りを真っ赤に腫らし、悲しそうに垂れていて私に何か話す度に充血を悪化させて涙ぐんで鼻をすするのです。

最近は食欲がないようで、私に打ち明けた日から3kgも痩せたのだとか。

以前のように表情豊かな友人ではなくて、もう全然、笑うことはなくて。

私は友人が大切で、大好きだから、一緒に行けなくなるのは私にとっても本当に苦しいことでした

最初に「辞めようと思うんだ」と切り出された時には思わず泣いてしまって、「ごめんて」なんて震えた声が聞こえてきたのを、私はどうすることが出来たんでしょう。

まず、ここで引きとめないと一生後悔することになると直感してすぐに顔を上げて言葉にしようとしましたが、こんなに苦しそうな顔をしている大切な友人をこれ以上、辛い場所に留めておくような言葉をかけることを躊躇いました。

「嫌だよ」

私は言葉に詰まります

語彙力がないことを一生恨んだ瞬間です

「うん」

友人は少しだけ気が弱くて真面目だから、そして少し頑固なところがあるから、

頭で考えてもかける声が分かりません

何でわかってあげられないんだろう、なんて言って欲しかったんでしょうか

肯定か否定か

友人は、何て返ってくることを期待したんでしょうか

分かりません、わかりません

 

無力な私を恨んでいいから

もう一度、たくさん食べて、目一杯笑ってほしい。

才能の活かし方

私には、他の人より少しだけ力がある

それは握力とか物理的なものじゃなくて、要は"器用"だとか言われるもの

昔からそう言われてきたし、自分でも何となくは理解していた

他の人より、柔軟に対応できるってことなんだろうなって。

ただそれは、歳を重ねるごとに疎まれるようになった

"何でも簡単に出来ちゃって凄い、羨ましい"

最初はみんな褒めてくれた

けど、凄く努力したことも、その括りにされてしまった

"生まれた時からの差だよね、比べられたくない"

そう言われてしまうと、どうしていいかわからなかった

何もかも不器用で、"難しいね"とへらりと笑っている人に"それな、出来るわけないよね"と沢山の人が寄っていった

器用って、良いことないな。

周りの目を気にするたびに、手元が狂った

不器用で、何も出来ない方が愛されている

しかし、必ずそうであるとも限らないことを私は知っていた

だからこそ、どうしていいのかわからなかった、口をどう開けばいいのか、恐ろしくなった

器用である私は、考えた。

 

"ぶきっちょ!仕方ないなあ"

少し経って、必要以上に自分の持つ力を出すことをしない世渡りの仕方を学んだ

絵だって、学だって、運動だって、歌だって、なんだって。

周りと同じくらいなら、そうであるなら、きっと。

 

"何が得意なの?"

 

何だろう?不器用だからなあ。

 

へらりと笑えば、笑ってくれた

努力だって何だって自分以外には関係ない

柔軟に対応出来るって、こういうこと

 

 

私には、他の人より少しだけ力がある。

すなわち、私は器用である。

ペンギン

どうせ人間や人生なんか面倒くさいものであるのだから、どうせやるならとことん面倒くさいことをしよう

たくさん経験をするべきです。そしてたくさん知識をつけるべきです。経験と知識がなければ想像ができないでしょう、想像が出来ないということは人の気持ちもわかりやしないのです。だからたくさん努力をするべきです。その方がよっぽど社会で必要とされますよ。

面倒くさいなあと、そういう顔をする人より。

 

ゆっくりと、重く、積まれていく言葉

沈黙だけが耳に残る広い部屋で、100人近くが、そう言い放った指導者を見つめていた

 

たった一度の人生です

ゲームで、生真面目に攻略だけする人もいれば、時に好きなことをしてゲームオーバーを望む人もいるでしょう

好きなことだけをして、生きてみる経験もまたその人の人生です

一回しかチャンスがないのなら、その一回を真面目に成し得ることが幸せだという人と、不真面目でも楽しく成し得ることが幸せだという人、どちらも大きく見れば何も間違ってはいないのでしょう

 

きっと指導者は、私たちをより"善い"方へ連れて行きたいのです

年季が違う分、それをよく知っているから。

私たちが手を引いても、ちっとも動かないものですから、納得させようと必死に話をしてくれているのです

 

私は複雑です

先の見えない暗闇に手を引かれて「こっちが良いよ」なんて根拠があってもなくても立ち止まってしまうものです。

ペンギンのように、誰かが先に行ってくれるまで動かない私は誰か先に行ってどうにか照らしてきてくれよと思ってしまうのです。

卑怯でしょうか。

いいえ、誰でもそんなものなのでしょう。

絆創膏

大きな駅の階段で、何事もない日々の中で、

私は大きく転倒しました。

 

とても、恥ずかしかったです。

後ろに知人がいたかもしれないと咄嗟に頭に過ぎり、さあっと血が降りていくのを感じました。

それを振り返る勇気もなく、電車に逃げるように乗るのですが心臓のばくばくは止まりません。

世界では、大衆の中で私が転ぼうが、それは変わりなく日常の一部なのでしょう。

だから私は大衆の中で1人、

顔を真っ赤にして、平常を装うのです。