灰色の空

あした晴天なら

才能の活かし方

私には、他の人より少しだけ力がある

それは握力とか物理的なものじゃなくて、要は"器用"だとか言われるもの

昔からそう言われてきたし、自分でも何となくは理解していた

他の人より、柔軟に対応できるってことなんだろうなって。

ただそれは、歳を重ねるごとに疎まれるようになった

"何でも簡単に出来ちゃって凄い、羨ましい"

最初はみんな褒めてくれた

けど、凄く努力したことも、その括りにされてしまった

"生まれた時からの差だよね、比べられたくない"

そう言われてしまうと、どうしていいかわからなかった

何もかも不器用で、"難しいね"とへらりと笑っている人に"それな、出来るわけないよね"と沢山の人が寄っていった

器用って、良いことないな。

周りの目を気にするたびに、手元が狂った

不器用で、何も出来ない方が愛されている

しかし、必ずそうであるとも限らないことを私は知っていた

だからこそ、どうしていいのかわからなかった、口をどう開けばいいのか、恐ろしくなった

器用である私は、考えた。

 

"ぶきっちょ!仕方ないなあ"

少し経って、必要以上に自分の持つ力を出すことをしない世渡りの仕方を学んだ

絵だって、学だって、運動だって、歌だって、なんだって。

周りと同じくらいなら、そうであるなら、きっと。

 

"何が得意なの?"

 

何だろう?不器用だからなあ。

 

へらりと笑えば、笑ってくれた

努力だって何だって自分以外には関係ない

柔軟に対応出来るって、こういうこと

 

 

私には、他の人より少しだけ力がある。

すなわち、私は器用である。

先輩

日々終わっていく青春の1ページ

今しかない小さく、大いなる幸せの中から

私は一体何を貰えるのだろう。

幸せの片隅にいつもいた、

優しい言葉と笑顔のあなたに

最後の日、私は何を言えるのだろう。

たくさんの感謝を抱えて、

残り2ヶ月

それまで、少しでも隣に。

その日が来て、きらきらとあなたの名前が呼ばれて

拍手喝采を浴びて

わたしは、

 

『ありがとう』

 

きっとあなたとの1ページを思い出して

たくさんの幸せを噛み締めて

言葉に出来ない思いを伝えて

最後まで隣に並んで

「ありがとうございました」

初めて思い切り、

泣くんだろう。

「さようなら、どうかお元気で」

そして私なりの最高の笑顔で

あなたの旅立ちの日を祝福しよう。

ペンギン

どうせ人間や人生なんか面倒くさいものであるのだから、どうせやるならとことん面倒くさいことをしよう

たくさん経験をするべきです。そしてたくさん知識をつけるべきです。経験と知識がなければ想像ができないでしょう、想像が出来ないということは人の気持ちもわかりやしないのです。だからたくさん努力をするべきです。その方がよっぽど社会で必要とされますよ。

面倒くさいなあと、そういう顔をする人より。

 

ゆっくりと、重く、積まれていく言葉

沈黙だけが耳に残る広い部屋で、100人近くが、そう言い放った指導者を見つめていた

 

たった一度の人生です

ゲームで、生真面目に攻略だけする人もいれば、時に好きなことをしてゲームオーバーを望む人もいるでしょう

好きなことだけをして、生きてみる経験もまたその人の人生です

一回しかチャンスがないのなら、その一回を真面目に成し得ることが幸せだという人と、不真面目でも楽しく成し得ることが幸せだという人、どちらも大きく見れば何も間違ってはいないのでしょう

 

きっと指導者は、私たちをより"善い"方へ連れて行きたいのです

年季が違う分、それをよく知っているから。

私たちが手を引いても、ちっとも動かないものですから、納得させようと必死に話をしてくれているのです

 

私は複雑です

先の見えない暗闇に手を引かれて「こっちが良いよ」なんて根拠があってもなくても立ち止まってしまうものです。

ペンギンのように、誰かが先に行ってくれるまで動かない私は誰か先に行ってどうにか照らしてきてくれよと思ってしまうのです。

卑怯でしょうか。

いいえ、誰でもそんなものなのでしょう。

絆創膏

大きな駅の階段で、何事もない日々の中で、

私は大きく転倒しました。

 

とても、恥ずかしかったです。

後ろに知人がいたかもしれないと咄嗟に頭に過ぎり、さあっと血が降りていくのを感じました。

それを振り返る勇気もなく、電車に逃げるように乗るのですが心臓のばくばくは止まりません。

世界では、大衆の中で私が転ぼうが、それは変わりなく日常の一部なのでしょう。

だから私は大衆の中で1人、

顔を真っ赤にして、平常を装うのです。

umbrella

雨の音がぱたぱたと窓を叩く音だけが、静かなリビングルームで鳴っています。

日付を跨いでも尚、目を覚ましたままなのを昔のわたしこそ、何とも思っていなかったのでしょう。今は"明日起きられるかな"、なんて自立した証拠でしょうか。

ああ、いけません。また大人になったような勘違いをしてしまいます。

こんな真夜中にひとりなら、少しくらいは呻きをあげて泣くこともできたかもしれません。慣れてしまったように感情がないような涙を流すばかりです。本当は胸がこんなに苦しいのに、私から発せられるものは他人に伝わりにくいのですからめんどうくさい。

こんな文を連ねる今も胸がぎゅう、と痛むのです。その痛みが苦しいように感じるのです。

どうして私の胸は痛むのでしょうか。

私はどうして泣くのでしょうか。

一体何を得ればこんな思いから抜け出せるのでしょうか。

それまで私は誰にも伝えることが出来ずにいるのでしょうか。

 

ぱたぱた

消極的な考えを巡らすのはこんな夜のせいと、何度誤魔化して来たんでしょう。

自分が落とした涙の跡に気づかないふりをして来たんでしょう。

鼻水をすする音さえも聞かせてはいけないのだと、何を怖がっているのでしょう。

「明日起きられないよ」

掠れた声がようやく聞こえて、

私は仕方なくといったように布団へ入るのです。

「おやすみなさい」

このままずっと起きなければ、幸せなんでしょうか。

好きなこと

2年前から、暇を持て余すばかりだった私の生活が常人よりも遥かに忙しいものになってしまいました。充実感や絶望、嘆いたり病んだり、ほんとうに忙しいのです。

そんな日々の中に、私の好きなものは置いてけぼりにされてしまったようでした。

久々にしっかりとペンを握っても、前は勝手に動いた手が何の反応も示さないのです。どうしたものかと無理やりガリガリと描いてみても、私の絵はこんなものだったかと、違和感に思わずノートを閉じてしまいます。

好きなことに不快感を覚えたのは初めてでした。

私は何が好きだったんだろうと思い返しても中々浮かんではきませんし、嫌いなことを辿る方がよっぽど簡単です。当然のことなのかもしれませんが、私には異質な感覚に違いはありません。

私の好きな何かはどこかへ忘れてきてしまったようです。

ノートに描いた私の絵を、勢いに任せ、怒りをのせた黒塗りにすれば

嫌いな何かを、不快感を、拭えないでしょうか。

ユリの花

死にたいと思ったことはありますか。

 
飛び降りたり、切ったり、溺れたり
そんなことを想像したことは?
 
私はあります。
ええ、何度も、何度も
身内の棺を見る度にそう思っていました
黒いハンカチを握り締め、骨になった姿に泣き崩れる親戚を、私の時もこんな風に泣いてくれるのかと眺めるのです。
 
何故死にたいのかと聞かれれば、答えようにも言葉が見つからないのです
"死にたいと思ったから"
そんな言い訳のような文しか出ません
 
それでも私は思うだけ、想像するだけ。
実行に移す勇気なんてものは持ち合わせていませんし、心配してくれる友人もいない
所詮私はそんなものなのだと、言い聞かせては毎日のうのうと生きるのです。
 
いつか棺桶に勝手に入るその日まで。