私のログ

多分明日も生きてる

おはようを消したい

睡眠時間の少ない私は、いつでも目の下に大きな隈をこさえていて、それを病的な何かだと思い触れない人や、気に留めない人、気味が悪いと影で噂したりする人もいます。

別に精神的な病を患っている気は毛頭ありませんが、私の悪い癖だとだけ言っておきましょう。

自分にとって都合の悪いことが起こると分かっている時、明日が怖くなりませんか。

夜が来て、眠ったら日が昇って、今日になってしまう。眠ってしまえば朝になるまで、あっという間です。誰もが睡眠に対して6、7時間、ただじっとしていたなんていう感覚はないでしょう。今日という日を少しでも伸ばして明日を遠ざけようとする私なりの抵抗が、「眠らない」という行動でした。

しかし、初めから分かっていました。いくら今日を伸ばしたところで日は昇り、今日は私を照らし、古い今日を消化していくことを。毎日カーテンの隙間から覗く朝日と、澄んだ空が私をどうしようもなく現実に引き戻すのです。そこに「悲しい」なんて感情はありません。私がいつも感じていたのは、自分に対する呆れでした。睡眠時間を削って、叶うことがない幻想を理解していながらも追い求め、わざわざ自身の行動効率を落とすなんて微塵も利にもならないことをなぜ繰り返しているんだと。叱責とも言えるでしょうか。

きっと私は心がないのではなく、弱いのでしょう。(だからこそ、私も見つけられない場所に置いてくることで守っていたのだけれども)

これを私なりの心の芽生えだとするならば、どう大切にしていけば良いのか私にはわかりません。何処かへ追いやることでしか守る術を知らない私は、これからも睡眠時間を削りながら明日への恐怖に怯え続けなければならないのでしょうか。今は昔ほど酷くはないものの、夜のまま永遠に朝日が昇らない幻想を今でもまだ、ひとりの暗い闇に描いたままです。