私のログ

多分明日も生きてる

ありがとう、私もよ

   私の親友を自称する彼女が「私、美人って言われるの」と、確かに私よりも整っているように見える顔に微笑みを浮かべて、何でもない食事中に言うのに対して正しく答えを導き出せるようになったのは最近のことでもありません。その言葉や挙動から、私が彼女に返す相槌は既に決まっていて、「そうね、とても美人だもの」といつものように望まれるまま機械的に微笑むのみです。

その後に続く「でも私は肌が黒いじゃない?肌が白い方が素敵に見えるんですって。その点、あなたはとても肌が白いわね」なんて言葉に怒りを覚えることも、劣等感を抱くことも、呆れすらも感じることはなく、「肌の色も含めて美人に見えるわ」とただひたすらに望まれた相槌を微笑みながら返すだけです。そこに何の感情もないことは、彼女が気づいていてもそうでなくても、どうでも良いことです。この場において必要なのは、聞いて、承認して、肯定することのみであり、それ以外の感情を抱くことは意味のない事だと正しく理解していました。

ビジネスの場でもない、単なる友人との食事で何故そんなことをしているのか聞かれても、私もわかりません。そもそもに彼女と楽しく会話をするなんてことは出来ないのだと幾度となく繰り返された同じ場面で学びました。

ただ、彼女にとって私は親友であり、生きがいのひとつであり、私が身近に存在していることが彼女の幸福の絶対条件であるらしいのです。そして同時にこれらを維持し続けることが、過去に彼女の「私の親友になって」という言葉へ軽率に頷いてしまった私の罪であり義務であり果たすべき責任だと思う他ありません。

しかし、彼女の話を聞く限り、彼女が必要としているのは限定的に私ではなく、同じように肯定してくれる人物のようでした。一刻も早く彼女の前にそんな素敵な方が現れることを祈りながら、「あなたという人が大好き。あなたがいればそれでいい」と謳う彼女の言葉に彼女が望む最適解を叩きつけます。